商人と赤鬼

やさしい領主

 富金原は列島を渡り歩く流れの商人である。各地の特産物や美術品等を仕入れては売り、収入を得て日々を暮らしていた。
 富金原に付き添い旅をするのは流れの旅人、ホムラと名乗る男。『星詠み』という特別なちからを以って、予言のようなことをする不思議な男だ。
 そんな二人は、樹海の中にいた。北にある少し大きな都市を目指していた。
「おい、ホムラ。どうなんだ、今日中に着くのか?」
「そうですねェ……ん……ああ、着きますよ──ただ──」
「ただ?」
「……いえ。おれが言えるのは、『次の街は早めに切りぬけてしまった方がいい』ってことぐらいですかねえ」
「どういうことだ。この樹海の先の街は大きな商業街と聞く」
 ホムラは煮え切らない調子で、ああでもないこうでもない、というように口の中で何かを呻く。
「そうですねえ。流石の旦那でも、次の街には溶け込めないんじゃないかと思いますねえ。いや、これはおれのちからじゃあないですよ。これは本当に風のうわさです」
「……そうか」
 どこにいても調子よく、富金原がどこにどれだけ滞在しようが気にしないホムラが、一体どういうことか、と富金原は気がかりになったが、しかし、どちらにせよ森を抜けないことには意味が無いということに気づき、心に留めておく、とだけ告げた。
「へへ、それでいいんですよ。さっさと森を抜けようとして抜けないと、たぶん今晩はここで野宿ですねえ」
「分かっている」
 『予言を聞かない人間は予言どおりに動くことになる。予言を聞いた人間は、未来を受け入れるか抗うかの選択ができる』という。旅の間でいやというほど聞かされたその文句、忘れられるはずもない。

樹海を抜けたのは、日も沈みきり空には星が輝く頃であった。樹海のすぐ近くに、その街はある。夜だというのに異様に明るく、その一帯は、他の地域に比べて星が少ないように感じられた。
「まあ、今晩の宿は確保できたな」
「そうですねえ」
 言いながら、街の門をくぐろうとした時。
「ちょっと、そこの二人!」
 突然横合いから呼び止められ、富金原とホムラは肩を震わせた。
「……何か問題があったか?」
「大ありだ。金、金だよ。ここを通るには、通行料を貰うよ」
「通行料だとぉ?」
「ああ、通行料か。それは、すまない。いくらだろうか」
「二両だ。さあ、払え」
 富金原は、金額を聞くや否や目を見開いた。
「なっ……二両だと!」
「払えねえのか。それならここを通すわけにゃあいかねえなあ」
「そんな金額、払えるわけ……」
 思わず憤る富金原に、出っ歯の男が、唾を飛ばした。
「それがここのきまりだ。守れねえんならここに入れることはできねえなあ?」
「おい、やめろ、赤井」
 そこに背後から凛とした声がかかる。赤井と呼ばれた男は、びくりと体を凍らせ、舌打ちをしたかと思うと、そのままどこかへ消え去ってしまった。
 赤井の去ったその場に残ったのは、富金原と、あと一人。黒く長い髪をひとまとめにした女性だった。男物の着物を着た彼女にすきは無く、見るからに只者ではない。
「……私はここ瓜生領の領主、朝木だ。旅の方々、うちのものがどうもすまないことをした」
「いや。通行料を取るというのは他でも行われているが……少しばかり金額が大きすぎるのではないか?」
「……すまない」
 朝木と名乗った領主は、深々と頭を下げた。富金原は、いいんだ、とあわてて手を振る。
 と、そこに。そういえば、いつの間にか居なくなっていたホムラが帰ってきた。
「ホムラ、どこに行っていたんだ」
「とんでもねえ街ですよ、旦那。宿が軒並み三両、四両の世界だ。こいつぁひでぇや」
 ホムラの険しい顔を見て、富金原は、そうか、と呟いた。
 と、そこに口をはさんだのが朝木だ。
「こんな街だと、泊まれる宿もない。私の屋敷に来るといい」
 富金原は、少しだけ迷ったが、宿の値段を考えたら仕方が無いと考え、朝木の好意に甘えることにした。
(……しかし、この街に入った瞬間に感じた、この浅木という女を見た瞬間に感じた、あの既視感は一体)
富金原は、自分の中の違和感を抱えながら、朝木の屋敷に向かった。

   +

 朝木の屋敷は広く、しかし人は少なかった。一つの大きく立派な部屋を与えられ、富金原は、ありがとうございますとお礼を言う。朝木は、いいのだ、と気楽に手を振った。
「この街は金に溺れているのだよ。十数年前にここにやってきた商人……名前は何と言ったかな。まあ、彼らがこの街に贋金を撒き散らして行ってくれたおかげでね。しかも、贋金製造方法なんて残して行ってくれたもんだから。それ以降、この街では贋金の製造のしあいが起きて金の価値なんか無に等しい」
「ああ、なるほど」
「だから、さっきの赤井のような奴は、ああやって何も知らない旅人から通行料を無理やりせびって金を稼いでいる。……本当に、どうしたらいいのやらってね」
 この街の周りは、樹海と、高く険しい山に囲まれている。外に出られることも少ない、この街では、金が外に流れる事もなく。ただ、延々と街の中だけで贋金が回り続ける。お金が足りないから、贋金を作る。そうして贋金は加速度的に増えていき、気づいたら、取り返しのつかない事態に陥っていたらしい。
 朝木は困り切ったように肩を竦めた。

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 深夜。ホムラがふと目を覚ますと、少し離れた隣で寝ているはずの富金原の姿がなかった。
「あの人どこ行ったんだ?」
不審に思って、ホムラは富金原を探しに行くことに決めた。住む人を起こさないように慎重に探し、最後に、資料室で動く影を一つ見つけた。ほんの少し先の未来を読む。ここから、青い顔をして出ていく富金原が見え、安心して彼に近づき、声をかける。
「……どうしたんですかい?」
「……! ……、ああ。ホムラか……」
「あんたがここから青い顔して出ていくのをおれは見ましたよ」
「……なんでもない。それに、お前には関係ない話だ」
 富金原は、何か資料のようなものを大切に胸に抱えていた。
 それが何であるか、ホムラにはわからなかった。
 富金原はホムラにそれを見せることがないというのが、決定的な未来であるようだった。

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 次の日の朝、ホムラと富金原は、瓜生領を後にすることにした。
 いくらかの土産と、手に持つ珍品を交換してもらい、富金原は、ありがとうございます、と朝木に深々と礼を言う。
「ありがとうございました、本当に……」
「……ああ。大丈夫。きっと私がこの街を建て直してみせる、安心しろ」
「……はい。それでは、お元気で」
 ホムラも軽く会釈をして、二人はその場を後にした。高く険しい山をこれから越える。少しだけ傾斜のなだらかなところを、ホムラが探し出し、そこをたどっていくことにした。
「旦那、昨日のあれは見せてくんないんですかねえ」
「あれはもう朝木殿に返したからな」
「へっ、つまんねえなあ」
 なんとか言いながらも、ホムラも深く追及する気はないようであった。誰にも、知られたくないことの一つや二つ、あるものであるからだ。
 一人の証人と一人の旅人は、次の目的地に向かって歩き始めた。

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 今から数十年前の話だ。この瓜生領の経済がまともで、贋金の作り方なんて誰も知らない、そんな時に起きた、その時は小さな。それでいてのちには重大な──事件。
「あのう、入国許可をお願いします……」
「お前たちは……商人か。いいだろう、瓜生を楽しんで行ってくれ」
 人のよさそうな夫婦に、目の色の薄い男の子供が一人。仲のよさそうなその家族。どこにでもいそうな家庭が、そこにあった。
「ねえおかあさん……すごいよ、この街、ぜんぶおっきい」
「そうねえ……いっぱいお店もあるわ。ねえあなた、この子、好きに遊ばせてあげませんか?」
「……そうだな。××も、そろそろきちんと自分でものを買ったりすることを勉強しないとな」
 言いながら、父親は、売り上げの詰まった袋から、いくらかの銅銭を取り出し、子供に与えた。子供は嬉しそうにそれを握り、おいしいものたべたいな、と言いながら、街の中へと駆けていった。
 今思えば、それが大きな失敗だったのだが。

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「えっと……これがたべたいけど……足りるかなあ」
 掌の上の銅銭を転がしながら考えるが、両親の動かすのを見ただけで、自分ではお金を使ったことがなく。本当にこれでいいのか……そういう心配をして、いまだに何も変えずにいた。両親から離れて、すでに二刻が過ぎていた。と、そこに声がかかる。
「ねえ、ちょっと、あんた大丈夫? ふらふらしてるよ」
「え? あ、だいじょうぶだよ」
「……ああ、あんたこれがほしいんでしょ? あんたいくら持ってる?」
「これだけだよ」
 言って、少年は掌の上の銅銭を少女に見せる。すると、少女は、なあんだ、といった。
「余裕じゃん。おっちゃん、これひとつ……あーいや、ふたつ! ちょーだい!」
「あいよ!」
 威勢のいい大声とともに、掌の上から二枚の銅銭が持っていかれ、その代わりに手の中には食べたかった、いかの姿焼きがあった。
「わあ……」
「あ〜、おいしいわ。あ、お金は後で返すね」
「うん。おいしい。ありがとう」
 少女と少年は歩きながらいかの姿焼きを食べる。ふと、少女が、少年に聞いた。
「あんた、旅人? 全然見ない顔だからさ」
「あ、うん、そうだよ」
「そっか。じゃあ、あたしがこの街のいいところ、おしえたげる!」
 自信満々に少女は言った。あたしがおねえさんなんだから、と、顔が言っていた。
「うん、わかった。ありがとう!」
 少年は、少女の好意を受けることにしたのだった。

 少女と少年は街を歩き、最後に行きついたのが、少し広めの空き地であった。
「ここであたしたちは遊ぶんだよ!」
「へえ……ん? あれは何?」
「え?」
 少年が指差した先を少女が見ても何もない。何かあるか、と聞くと、少年は指差した先に駆けていった。少女もそれについていく。
「なにかある?」
「うん。えっと……」
 少年は、少し盛り上がっているところの地面を掘る。少し掘ったところから、大きい甕が出てきたのだった。
「ちょっと、やめてよ。お墓かもしれないわ」
「うん、でも……」
 少年は迷わずに蓋をあける。すると──
「えっ……?」
 少女は困惑したような声を出した。
 甕の中には、途方もない量の金貨、金貨、金貨──
「あ、まって。ここに紙が。えっと、『これらはすべて……の金……』」
「『偽の金』よ。ちょっと貸しなさい」
 少女は少年から紙をひったくると、続きを読み上げた。
「『ここに贋金の作り方のすべてを記す。いざという時のためのものであり、普段使うものでもない……』だって。偽のお金!?」
 少女は、金貨を手に取った。少女は何度か本物の金貨を手にしたことがあるが、その重みは確かに本物である。
「……すごいよ、あんた!」
「え? そうかな、えへへ……」
「だってさ。お金いっぱい持ってたらお金持ちになれるんだよ!? 偽のお金だって、みんなに平等に配ったら、みんなお金持ちだよ!」
 すごい、と少年は感嘆した。少女は得意げに笑う。
「あたし、この街の領主の子。この街がもっと発展したらいいなって、ずっと思ってるの! だから、ねえ、あたしこれがほしい!」
「……いいよ。ぼくはどうせ、お父さんやお母さんともうすぐほかの町に行っちゃうしね!」
「ありがとう! あたし、あんたがまた大人になって戻ってくるころには、もっともっと立派な領を作って、あんたのこと待ってるからね!」
 少女は、未来も何も知らない、天真爛漫な笑顔で、そう言った。
 言ってしまったのだ。

   +

 彼女はやさしい領主であった。
 同時に、あの領を窮地に陥れた張本人でもあった。
 ああ、自分があそこで甕を掘りださなければ──
 少しの盛り上がりなんて気にしなければ──
 案内なんて頼まなければ──
 姿焼きくらい自分で買っていれば──
 後悔は募る余りであったが、それも、もはや後の祭りだ。
 ただ、そこには誰も知らない事実が残る。とある商人の息子と領主の娘が贋金を大量に生み出そうとしたというその事実だけだ。
 彼女はおろかな子供であった。
 しかし、責められても仕方のない自分を受け入れて一泊までさせてくれた彼女は、確かにやさしかった。
 それだけは、たしかなことであった。
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