とあるアルバイターの一日

 ファミリーレストランのアルバイトといえば、いつも忙しくフロアを駆けずり回っているイメージしかないが、平日の昼すぎともなれば、そんなことはほぼありえないと断言できる。昼食の時間もすぎ夕食にも早すぎるこの時間、とにかく、暇なのだ。とはいえ、そういう時間の間のぶんまで金をもらっている以上、働かないことには申し訳ない。というわけで、平日昼すぎ、客足はまばらというレベルの遥かに下を行っているこのファミレスでバイトをしている男、セエルは、無駄にテーブルを綺麗に拭いたり、無駄にグラスを磨いたりしていた。
(……綺麗にすることはいいことだし……)
 なんとか言い訳をしながらも、時間を持て余しているのは事実である。
(なにか面倒くさくない程度で面白いことが起きないものか……)
 今キッチンに入っているのは、最近バイトに新しく入ってきた寡黙な四十歳代の男。この年まで主夫をしていたらしく、料理の腕前は抜群だった。まあ、ファミレスなので実際料理といっても、『チン』とか、ボイルとか、焼いて温めたり整えたりする程度なのだが。ともかくその主夫さんは寡黙であった。話しかければ応える程度。自分から話しかけはしない。セエルはそういう人間が苦手だった。なぜなら自分もそういう人種だからだ。口下手で、何をしゃべっていいやらわからないから、仲のいいのはうるさい人ばかりで、そういう人に話すことを完全にまかせっきりにして会話している。
 対話するときに一番悲惨なのは、口下手対おしゃべりではない。口下手対口下手のときなのだ。
(話し相手もいないなら磨くしかない……)
 そう思い、グラスの最後の一つを拭き終わった、その時。
 しゃらんしゃらんと軽い音が鳴り響く。
 久々の客だと、入り口に向かう。セエルは、内心、うっ、と息を詰まらせた。
 見るからに喧嘩中のカップルだった。睨み合う視線の間には火花が散っているのが見える。やばいなあ、と思いながら、禁煙席へ二人を誘導する。
 しばらくは、ぎすぎすした雰囲気を放つだけの二人だったのだが、十分ほど経ったとき、いきなり女性が立ち上がった。
「いい加減にして! あたしは悪くないわ!」
 少し離れたところで大学のレポートをまとめていた男子大学生があまりに突然の爆音に、コーヒーを噴出した。
 カップルはそれを全く意に介さない。
「なんだよそりゃあ! だからといって俺は悪くねえよ! だいたい浮気したのはそっちだろうが!」
「うるさいわ! あんたが最近ぜんぜんあたしにかまってくれないのが悪いんでしょ!」
 ぎゃーすかぎゃーすか。言い合う二人の会話を聞いていたのだが、さすがに声のボリュームを考えてほしくなったセエルは、二人に注意をする。
「あの、他のお客様のご迷惑となりますので、」
「なによ!」
「人の問題に口出すんじゃねー!」
「……お静かに……お願いできますか……」
「だいたいあんたは……」
「つーかよ、おめーは……」
 完全無視だった。
 男子大学生は、カップルのほうをじ〜っと眺めていた。ごめんなさい、と内心謝り、もう一度強く言おうと決意した瞬間、女性が動く!
「もういいわ! あたしあんたと別れるし、帰る!」
「おいちょっと、パフェ代払えよな!」
「はぁ? なんで、あたし悪くないのにあたしが払わなきゃいけないの! わけわかんない! 帰るったら帰る!」
「お前な!」
 女の肩をとらえようとする男だが、女はそれを軽くするりと避けてみせる。
「ばーっか!」
 女は出入り口にたーっと駆けて行った。しかし、ミニスカートを気にしながら、女性のゆっくりした走りだ。ズボンを履いた男が女性に追いつけないわけもない。
 ちょうど今ドアを開けようとしているときに、男性は女性の肩をつかんだ。
「痛い! 離して!」
「断る! 謝るまで許さねえ!」
「キャーッ、誰か警察!」
「ちょっとお客さん、喧嘩ならよそで……」
「うるせー! お前は黙ってろ!」
「店員風情がうるさいわよ! 警察呼ぶわよ!」
(そんな案件誰が取り合うんだ、誰が)
 その状態のまま再び言い合いが始まり。やがて、それはとっくみあいの喧嘩にまで。
 時刻を見れば、気が付けば午後五時にまでなっていた。ちょっと早いが、もうそろそろ夕食時だという頃だ。そんな時まで、出入り口を占領して二人は喧嘩をする。出入り口のガラスの向こうでは、入ろうとして、中の様子を見て出ていくのを、セエルは見た。
「お客様、これ以上店内で騒がれますと業務妨害として警察に訴えますよ!」
「やってみろや! 俺はこいつと喧嘩してんだからな!」
「あたしだってそうよ! あんたなんか関係ないわ!」
 だめだこいつら……早く何とかしないと……。
「あんたはいつもいつも言い訳ばっかりして、あたしに悪いと思わないの!? 知ってる、あんた一年目の日忘れてたでしょ! 信じられない!」
「うるせー記念日なんかにとらわれない人間なんだよ俺はよー! つーか、だからといって浮気はしていいのか! いけねえだろ! お前が俺の立場ならどう思うんだよ!」
「それとこれとは話が別よ!」
「一緒だろ!」
「別よ!」
「一緒だ!」
 途中から音楽プレイヤーを耳に突っ込み自分の世界に入っていた男子大学生もレポートを書き終えたのか、帰りたそうにこっちをみている。早く帰りたいならこいつらをどうにかするのを手伝ってください。……まあ、それも含めて自分の仕事なのだが。
「……お、い、」
 いい加減ぶちぎれそうになったセエルは、こめかみに青筋を浮かべながら二人に話しかけ……ようとした。
 その時、ヒュ、と。
背筋を走る何か悪寒のようなもの。
 セエルが背後を見ると、そこには異様な気配を放つ主夫(四X)が。
「おう……お前さんら。喧嘩なら……余所でやりなァ……」
 ドスの効いた自由業顔負けの気迫に、喧嘩をしていたカップルは動きを止め、顔を見合わせ。やばいよね、やばい、と小声で言い合うと、そのまま、走り去っていってしまった。
「あ……」
「……よう頑張った。まあ、あの手合いはやさしく言うんじゃあ効かんわいな」
 それだけを言うと、主夫さんはそそくさとキッチンに戻ってしまった。鍋磨きの作業を再開する。
「……、」

 その日、寮に帰って、弟分の男にそれらの一部始終を話すと、彼はそれはそれは目を輝かせていた。
「ぜひ俺もああいう威厳とかそういうのを身に着けたいな、いざという時に全く役に立たんかった」
「……あ、今の話で一つ気になったことがあるんですけど」
「ん?」
「その二人……代金は?」
「……あ」
 忘れてた……。


◎普段の創作のほうで出てくるセエルと同じキャラクターですが、キャラクターの設定が当時から大きく変わっているためほとんど別のキャラクターです。
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